夏の東北5県を巡る弾丸3泊4日の旅
8月も後半夏休みも終わりに近づきました。このお盆休みに夏の東北を5県巡る旅に行ってました。
3泊4日とかなりの弾丸ですが、東北の観光名所をきっちり盛り込んだ旅になりました。
深夜2時マイカーで出発です!
1県目『宮城県』松島
夜に出発したが、案の定渋滞に巻き込まれ、やっとたどり着いた松島。
ちょうど朝食タイムです。宮島といえばやはり『牡蠣』朝早くから営業している松島さかな市場の駐車場に併設された、「焼がきハウス」の五大堂Aセットをチョイス!
ぷりっぷりの大きな牡蠣が5個と牡蠣ご飯とみそ汁これでなんと!1,300円なんです。
これは絶対にお得です!おいしい牡蠣に出会え幸先の良いスタートを切ることができました。
車を駐車場に停め、松島観光です。
五大堂
東北地方で最古の桃山建築の建物として、国の重要文化財に指定されているお堂。大聖不動明王を中心に、東・降三世、南・軍荼利、西・大威徳、北・金剛夜叉の五大明王像を安置しています。現在の建物は慶長9(1604)年に伊達政宗が再建したもので、軒まわりに配された十二支の彫刻や、橋桁の間から海が見える「透かし橋(通称:縁結び橋)」も見物です。
サイドウェイペアネックレス
プレートのサイドにはエナメルラインが入り、胸元をスッキリかつシャープに演出します!
ホワイト・ブラックのエナメルが今までにない斬新なデザイン。ワンポイントにスクエアカットのジルコニアを施しました。
更に、プレート表面にはLARA Christieのロゴの刻印、チェーンもスターリングシルバーを使用したこだわりのペアアイテムです。
伊達政宗の菩提寺「瑞巌寺(ずいがんじ)」
伊達政宗の菩提寺として知られる奥州随一の古刹。平安時代に慈覚大師円仁によって開創され、現在の建物は、政宗が5年の歳月をかけて慶長14(1609)年に完成したもので桃山様式の粋を尽くした荘厳な大伽藍です。
国宝の本堂ほか国の重要文化財の御成門など多彩な文化財が鑑賞できます。
モダンな建物が目印『松華堂菓子店』
松島・蜂谷養鶏場のさくらたまごと盛岡・藤原養蜂場のアカシア蜂蜜を材料に使ったこだわりのカステラはお店の2階で焼かれています。カステラとコーヒーorほうじ茶orミルクの三種から選べるドリンクのセットが頂けます。
コーヒーをチョイスしてみました。ふわふわのカステラがほどよい甘さでこれならいくらでも食べれそうです!
別名「出会い橋」ともいわれる『福浦橋』
今回は時間の問題もあり行けなかったですが、松島海岸の東に浮かぶ福浦島へと架かる、全長252メートルの鮮やかな朱塗りの福浦橋。別名「出会い橋」ともいわれ、五大堂の透かし橋(縁結び橋)、雄島の渡月橋(縁切り橋)とともに有名。この橋を渡ると良縁に恵まれるといわれています。
生憎の天気になってしまいましたが、松島観光はここまで。また、ゆっくり来ますね。
次に目指すは岩手県の世界文化遺産にも登録された平泉中尊寺へ!
休憩も入れつつドライブです。途中どしゃぶりの雨に会いましたが、岩手県に入るとなぜか天気が回復し快晴に!
「月見坂」
樹齢300~400年の杉並木が続く表参道の月見坂を上って本堂まで560m。
ちょっと急な坂を上ること数分。遅めのランチです。
岩手といえば『わんこそば』
そば処義家
平泉のわんこそばは置いたスタイルらしいです。平泉名物 盛り出し式。
今回はわんこそば1重を注文しました。薬味を入れたりとろろに入れて食べたりできるスタイルです。ちょっとしたアトラクションのように楽しくいただけました。おいしかったです。デザートもずんだ羊羹とロールケーキ2つもあり大満足です。
お腹もいっぱいになったところでいよいよ本堂へ向かいます。
途中に展望台もあり、街並みを一望できます。小さな御堂がいくつもあり緩やかな坂道をテクテクと歩いていくと中尊寺本堂が見えてきました。
中尊寺 本堂
中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
金色堂
ここからは有料になり、金色堂は撮影がNGとなっています。
金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。
内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥檀の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。
この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥檀のなかに今も安置されております。
白山神社
中尊寺の北方を鎮守(ちんじゅ)するため、850年に中尊寺を開いた慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)がこの地に勧請(かんじょう)したと伝えられています。
駐車場の近くにはお土産物屋が集まっており、南部せんべいを作っているところも見れたりしました。
金色堂も堪能し、1日目の目標地である盛岡に出発。
盛岡の夜ごはん郷土料理『沢内甚句 (さわうちじんく)』
今回予約して訪れたのが、人気の居酒屋 沢内甚句。北上川に架かる開運橋の近くにあります。
秋田県横手市に隣接する西和賀町沢内地区は、三方を1000m級の奥羽山脈に囲まれ、特別豪雪地帯に指定されています。藩政時代に飢饉の際庄屋の娘よねを藩に差し出し、年貢減免の身代わりとした。その悲しみを唄った盆踊り歌が沢内甚句だそうです。
お通しは、ビールに浸けた大根のビール漬。さっぱりおいしい!
親鳥のもも肉を炭火でこんがりと焼きあげ、ピリ辛味に仕上げたももどり。酒が進みます。
どんこ刺(肝付き)関東でどんこっていったら乾燥シイタケを思い浮かびますが、三陸だと「エゾイソアイナメ」のことだそうです。肝付でめちゃくちゃおいしかったです。
珍しいたらの刺身とミズ(山菜)シャキシャキした瑞々しい食感。
謎のビスケットの天ぷらもっちとしておいしかった。
西和賀町の郷土食のひとつです。食糧が不足していたその昔、希少なビスケットに米粉の衣でボリュームをくわえて食べたのがはじまりとされているそうです。
久々に日本酒も堪能し、今日はこれで終了。1日が長かった!
2日目の目的地は一気に北上し『弘前』へ。
春の桜の時期に訪れたい場所のひとつでもある弘前。
旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
明治12年に設立された県下では最初、全国で59番目の国立銀行です。明治37年に親方町に移りました。本館は、この時建てられた新店舗で、設計者は、当時洋風建造物の第一人者で太宰治の生家・斜陽館なども手がけた堀江佐吉によるものです。
ルネッサンス調の洋風建築で、頂上には展望台を兼ねた装飾塔をつけ、その先端にはインド寺院に見られるような相輪を配しています。国の重要文化財に指定されています。
津軽藩ねぷた村
弘前ねぷたの展示や、金魚ねぷたなどの製作実演コーナーや、津軽焼き津軽綿絵などの見学体験などが出来ます。
また、ねぷた囃子や津軽三味線の生演奏もしています。野菜や林檎、お米などの産直販売や、工芸品の販売コーナーなどもあります。
ねぷたなの?ねぶたなの?そもそもねぶたと思っていた私ですが、その意味は『眠て~』が津軽訛りで『ねぶて~』地域によって訛り具合がちがって『ねぷて~』。で違いがあるって初めて知りました。
そもそも眠たい祭りっていうのも初めて知りました。津軽三味線の生演奏があったりお囃子の実演があったりとかなり楽しめました。
今度は本物を絶対に見に行きます!ヤーヤドー!
弘前城亀甲門 / 北門
北方の守護神として玄武という亀の神様がいたとされており、 北側にある門の別名が亀甲門とされたのは、この伝説に由来していると言われています。 築城後間もなくはこの門が弘前城の正門とされていました。
弘前城
ん?ちょっとち、違う・・・。
私が知っている弘前城はこちら↓
※弘前城本丸石垣修理工事のため、2015年に弘前城天守の移動を行い、現在はこちらの光景をご覧いただくことができません。なお、石垣修理工事が完了後、弘前城天守は元の位置に戻る予定です(2021年度の予定)。
HPにも記載がありました。
人力車のおじさん曰く、遺跡などが発掘されていつ戻るかまだ未定とのことでした。
ちょっと残念ですが、次を楽しみにしています。今度は念願の春に!
青森郷土料理『菊富士』
2日目の夜は人気の郷土料理菊富士さん。
人気のいがめんちとはじめて食べる『そばもやし』そばのように細いからそばもやしというのかと思っていたらなんとそばの実のもやしとのことでした。絶品です!畑のキャビアとんぶりとホタテ刺し本格米焼酎 津軽海峡でおいしくいただきました。
3日目そろそろ南下していきます。
御座石神社
秋田の田沢湖へ。
田沢湖の北側に位置する「御座石神社(ござのいしじんじゃ)」は、永遠の美を願っていた「たつ子姫」を祀っています。この神社は美容にも縁結びにも効き目があると言われています。女性の観光客の皆さんにはパワースポットとしても人気がありますよ。
境内には、潟頭(がたがしら)の霊泉があります。これを飲んで辰子が龍になったと言われています。鏡石は龍になった辰子が姿を確認したと言われています。また、この「御座石神社」という名前は、秋田藩主佐竹義隆が御座石に座って休んだ事に由来しています。建てられたのは室町時代と言う歴史ある神社です。
大自然の中に位置する「田沢湖」は、日本百景にも選ばれている観光名所です。その水深の深さは最大で423mあり、湖面は透き通った明るい翡翠色から濃い藍色まで水深と太陽の光の角度によって表情をかえます。写真では伝わり切れないほどビックリするほどきれいなブルー。是非、行って見てみてください。
たつ子像
美しいブルーの田沢湖に立つ、ひときわ輝く黄金の「たつ子像」。湖神である「たつ子像」は高村光太郎の弟子である船越保武の手による作品。この田沢湖で一番の人気観光スポットです。うつむき加減で湖面を見つめる「たつ子象」はどこか悲しさを感じさせる表情をしています。永遠に美しくいたいと願いながら龍の姿になった悲しみの表情なのかもしれません。感慨深いものがあります。
抱返り渓谷
神秘的な碧い渓流や、紅葉の名所として知られる「抱返り渓谷」
上流にある日本一の強酸性で知られる「玉川温泉」の影響で碧く、ときにエメラルドグリーンをしています。
回顧の滝
渓谷入り口から片道30分程で到着します。途中道が細かったり道が悪かったりするので、スニーカーで行くことをお勧めします。ベビーカーも難しいと思いますよ。参考までに。
角館武家屋敷
みちのくの小京都と言われる角館。江戸時代にタイムスリップしたかのような街並みです。茅葺き屋根が武士の生活を物語っているような外観です。こちらも映画「たそがれ清兵衛」のロケ地としても知られていて、下級武士の生活が観られます。
佐藤養助商店
秋田藩主佐竹侯の御用処となった干饂飩の技法は、吉左エ門家の一子相伝、門外不出。
しかし、親から子へ、子から孫へという一子相伝の技が絶えることを心配した吉左エ門によって、特別に二代目佐藤養助に伝授され、創業となった。
安藤醸造
安藤醸造は、角館町で約250年の歴史を誇る、秋田県を代表する醤油・味噌・麹の醸造会社です。
しろだしが人気でお土産で購入!お醤油やお味噌など購入できます。
3日目はここから宿泊先の山形までで終了です。
角館から山形駅までが約180㎞高速もありますが、途中つながっていないのでほぼ一般道と同じ感じでした。
4日目最終日残すところ山形県と福島県。
山形と言えばやはりココ!
山寺
今日もピーカンで天気が良いです。
根本中堂で無事をお祈りし、出発です。
日枝神社
山寺の守護紙日枝神社でもお祈りしました。
松尾芭蕉像
「閑さや 巌にしみ入る 蝉の声」を詠んだ俳人 松尾芭蕉像。弟子の曾良像も立っています。
山門
拝観料はここでの支払いになります。鎌倉時代の作と云われる山門。奥の院までの登山入口。
この石段は、「一段二段と登ることにより煩悩が消滅する」と言われている有り難い修行の石段なんです。
石段は1015段。スタートです。
木陰の中をテクテクと登っていきます。最初は涼しくて楽勝と思いきや・・・。修行のはじまりです。
黙々と上ること20分程、修行な上、写真を撮る暇もなく・・・。
仁王門
嘉永元年1848年再建された、けやき材の優美な門で、 左右に安置された仁王尊像は運慶の弟子たちの作と云われる。
まだまだ、階段は続きます。この辺りで滝汗です。もう一息かな??
ぼけ封じ
途中でなでぼとけ様にぼけ封じでなでなでし、まだまだ続きます。
奥之院
開山・自覚大師円仁が中国で修業中に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来をご本尊としている奥の院に到着。
ここが最上段と思われます。
開山堂、納経堂
立石寺を開いた慈覚大師円仁を祀るお堂で、大師の木造の尊像が安置されて居り朝夕食飯と香を供えている。 向かって左の岩の上の赤い小さな堂は写経を納める納経堂で山内一古い建物である。
五大堂
開山30年後に建立された五大明王を祀る道場。断崖に突き出すようお堂が立ち山寺を一望。山中随一の絶景。
五大堂からの絶景です。あの下から歩いてきたと思うと感慨深いです。
さて、あまりゆっくりもできずに下山です。登ってきたあの辛さを考えると下りはらくらくです。
マツコも絶賛のサクランボソフトクリーム
ご褒美でふもとや本店さんのサクランボソフトクリームでクールダウン。
この日もかなり気温が高く暑かったので、本当においしかった。
山寺から市街地に戻ります。
映画「るろうに剣心」の撮影にも使用された
「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)は、大正5年に建てられた英国近世復興様式のレンガ造りの建物です。大正初期の洋風建築を代表する貴重な遺構として、昭和59年、国の重要文化財に指定されました。昭和61年から10年の歳月をかけて保存修復工事が行われ、現在は、山形県郷土館「文翔館」として一般に無料公開されています。
山形名物の「冷やしラーメン」をいただきたかったのですが、人気店で行列がすごかったので今回は断念。
福島に入り喜多方で喜多方ラーメンをいただきました。
いよいよ旅の最終です。
難攻不落の名城『鶴ヶ城』
戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。至徳元年(1384)葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。
旅の最終地にふさわしい鶴ヶ城でした。
さて、3泊4日と弾丸で駆け抜けた東北5県の旅はいかがでしたでしょうか。
だいぶ駆け足で駆け抜けた感がありますが、とっても満足でした4日間でした。
是非、みなさんも遊びに出かけてくださいね。
Ritsuko Stegmayer(リツコ ステッグマイヤー)
ララクリスティーのブランドディレクター兼トラベルプランナーとして活動。
主にLARA Christieのブランドギアを日本国内をはじめ世界各地のLARA Christie(ララ クリスティー)のある風景を撮影している。